由利本荘市 森川 透さん(52歳)

本荘南中野球部に一緒にいました。私は捕手で、投手が元日ハム投手の工藤幹夫君。強くて全国大会で優勝、東北大会でも優勝。そんな強いチームでした。敏英君は外野の控え選手でしたが、ベンチからの声援の声が一番大きく、みんなのために頑張る男でした。

大学と飛島建設勤務当時の先輩 大矢さん(55歳)

後から飛島建設に入ってきた彼の最初の赴任地は九州・金剛山トンネル工事の現場。体格がよくて酒が強いので重宝されました。工事を進める時迷惑をかける近隣にお詫びに歩く近隣周りをさせられていましたが、彼が訪ねていくと大抵みんなが「どうぞ、どうぞ、好きにやってくれ。」本社営業企画に身を置いてから勉強のため当時の安田信託銀行に出向になった。会社としては目をかけた人間だったので、「秘書になるためやめなければいけません」は言いにくかっただろうと思いますよ。

運輸大臣秘書官当時の同僚 国土交通省 Kさん

あれは平成3年2月、成田空港建設反対派と機動隊の衝突で犠牲者が出、裁判闘争が続いているさなかのこと、政務秘書官だった敏英さんに、犠牲者のお悔やみのため奈良にお住まいのご両親を訪ねてもらうことになりました。 実は事件が起きてから14年もの間、運輸省関係者は誰もお悔やみに行っていなかったのです。心中の不安はいかばかりかと察せられましたが、本人は覚悟を決めSPに守られ出かけて行きました。遺影に向かって手を合わせると、お父さんの方から切り出したそうです。「これまで国から誰一人来てくれなかったことが残念でなりませんでした。今回わざわざ来ていただき感謝します」と。心が伝わって事態は動いていきました。国が公共事業を行うに際しての反省と教訓となりましたね。

本荘南中学校時代の同級生 あきこさん(51歳)

夏場は教室の出入り口の戸が開いたままだったので、授業中に出入りしても先生が黒板に向かってるときは分からないときもあるような時代でした。 敏英さんは茶目っ気たっぷり。裏表の無い性格。そのうえ、どこか抜けているようでいて目が離せない生徒でした。私は大好きでした。

安田信託銀行(現みずほ信託銀行) 勤務当時の同僚 大塚さん(59歳)

仕事はよくできましたね。お客様からも好かれ、慕われるタイプの人間でした。アフターファイブになると付き合いが非常によく、たちまちリーダーシップを発揮する。仕事もアフターファイブも共にハードなのに、仕事上必要な資格試験などは一発で取得する。いつの間に勉強するんだろうと、あれには驚きましたね。

内閣官房長官秘書官当時の財務省OB 森川さん(56歳)

村岡官房長官時代、敏英さんは政務秘書官、私は事務秘書官で共に任務に就きました。初めて会っての印象は、代議士の子息であるにかかわらず腰の低い人。それまでの官房長官室の空気はぴりぴりしていたそうですが、私たちはチームワークよく難案件にも取り組むことが出来ました。後に大蔵省事務次官になった方を交えての食事の後、私はその方を駅に送ったのですが、タクシーの中でその方が「いい人だね。政治に出たら従来の政治家とは違う型の政治家になるね」とつぶやかれていたのが心に残っています。

羽後町 村上 與子さん

平鹿、湯沢、雄勝をはじめ各地のお寺を一緒にお訪ねしたことがありました。敏英さんはどこへ行っても本堂で合掌し、住職さんとお会いしても合掌していました。それが心からの合掌なのです。日本人の誰もの心の中に通じる人だと思いました。

秋田の特産物を一緒にPR販売した 佐々木さん(58歳)

敏英さんの発案で東京・ナショナル麻布で秋田の特産物をPR販売したときのこと。西目の銀杏、羽後町のイチゴケーキ、牛肉、松ヶ崎の赤ぎょうざなどいろいろ並べました。周辺の買い物客や滞日中の外国人たちもたくさん買いに来る所。敏英さんは半纏を着て威勢よく「いらっしゃい!おいしいですよ!」。その声の大きいこと!、馬力のよいこと!。

内舘 牧子さん(作家)

私の著書「夢を叶える夢を見た」を読んでくれています。人間、飛び出すためには、見切れる性格、自分に自信を持てる性格、好戦的な性格が必要だと書いてあるんです。敏英さんにはその性格ありとみました。私は各地を回る機会がありますが、秋田は元気がない。しかし秋田を愛しているからなんとかしなければ…。政治家を目指すうえでは国家の目線で見るのも大事だけれども、やはり秋田をどうにかしてほしい。

情報紙の取材で一緒に歩いた 斎藤さん(41歳)

相手に対するときの大らかさ、包容力にいつも感心させられました。しっかり話を聞き、自分の思いも語る。きっと、サラリーマン時代に経験したこと、秘書官時代に難局に向き合った体験などが糧となり、培われたものと思います。私は営業職ですが、仕事をする上でずいぶんと学ばせられました。

大仙市議会議員 小山 緑郎さん(53歳)

夏の選挙の時の街頭演説が心に響きました。皆瀬、東成瀬をはじめ山間部、町部を一軒一軒くまなく足を運んで訪ね、そこに住む人たちの生活のナマの声に耳を傾けたうえでの訴えでした。今、永田町と国民の間のギャップはあまりにも大きい。本当に国民の願いを反映できる政治家が今ほど必要とされているときはないんだと思います。

一緒にラジオ番組をつくった K・Oさん(42歳)

平成17年から18年にかけ、ラジオ番組づくりで一緒に仕事をしました。スタッフ会議でいいアイデアが生まれたら、その実現に向け“自ら”即座に行動に移すのです。出発点では想像すらできなかった展望が、驚くほどのスピードで開け、実現に突き進むのを目の当たりにしました。周りのスタッフの意識も前向き前向きに変化するのでした。秋田を、日本を変えてくれる人だと感じました。

横手市の会社経営者 高橋さん(54歳)

秋田の窮状を国会に届けることのできる国会議員がいないままでよいのでしょうか?敏英さんは今までの「何をやっているんだ、国会議員」とはまったく違う。行動力、交渉力、ネットワーク力がまったく違う。そのうえ、人の声をやさしく聞き取り、親身になって解決策を提案してくれました。人間味あふれる熱血漢であることを知りました。

無所属候補で落選した冬の衆院選の前、大仙市内を同行した 加藤さん(36歳)

地域回りに行っての帰りの雪の坂道、足を滑らせて大きな体が瞬間宙に浮き、どすん!と背中から落ちたのを見ました。痛みをこらえていたがたまらず夜に病院へ。しかし不運なことに当直医が専門外だった。翌日別の病院へ行って調べたら肋骨4本にひびが入っていた。横になって寝るときも、笑うときも、演説するときもずきんずきん痛みが走る。でも、一日も休まず地域を歩いていました。